メルケルとニナハーゲン

ハンドルで言うところの遊びのない世のなってきた。タクシーに乗れば運ちゃんが車の中にカメラ等が付いていて「やっていられないよう~」と嘆き市議会では居眠り防止のためにカメラがつけられている。二日酔いもできやしない。…1949年刊行のオーウェルの「1984年」。亡くなる1年前に刊行された。本当に当たっているのだ。

●映像の世紀の影響により…メルケルとニナハーゲンのテレビでの討論会である。
国民的スターであったニナハーゲンに対して推測ではあるが
憧れていた⁉メルケルは本気で怒っているニナハーゲンに対して
くすっと…笑っているのである。スターが目の前にいてしかも自分に
怒っているのがなんともおかしかったのではないだろうか。
ニナハーゲンは自由のない東ドイツを出て西ドイツへ決死の亡命をした。
ちょうどそのころのミュージックシーンではパンクが流行っていて
ニナハーゲンの気持ちとパンクが思いっきりはまってしまったのである。
というわけでビデオクリップによる変わりようたるや別人のようなのである。
メルケル独首相の退任式では本人が選んだ曲を軍の音楽隊が演奏するのが慣例。
ニナ・ハーゲンの「カラーフィルムを忘れたのね」を選んだ。東ドイツの国民なら
誰でも知っている有名な曰く付きの曲だ。
メルケル氏は、「この曲は青春時代のハイライトだった」と答えた。やっぱりね。
メルケルとニナハーゲンは1歳しか違わない。昔、物理学者を目指していたメルケルは派手な世界に 身を置くニナハーゲンを憧れのまなざしで見ていたのだろう。

「わるいやつら」…

今週の織登くんです。柵を超えて3階に行ってしまいました。3階に行って刺激して落っこちたらヤバイのでひたすら2階で待っていました。その後柵越えできないように工夫をいたしました。

織登くんは寝てばっかりです。うらやましい…将来なにになりたいとか悩みとかないのかね。

●「織登くんを叱る前に工夫しろ」みなさんこんばんは、全国愛猫家連合会川崎西支部副部長代理の猫野目又造です。猫を叱る前に叱らなくて済むように工夫するのが愛猫家の基本です。(基本的猫権2条2項) 余談ですが、漱石はなんと猫派ではなく犬派なのです。奥様が大の猫派なのですが。だからあんなに猫を第3者的に描写することができたのでしょう。ちなみに三島はブリーダー顔負けの犬好きで太宰は猫も犬も大嫌いで特に犬に関しては噛まれる…を前提に猛獣のごとくとらえていたようです。しかし後にひょんなことから犬と仲良くなり犬派となりました。

●最近はどちらでもよい…独壇場の読み方ドクセンジョウでもドクダンジョウでもどちらでもいいみたい。順風満帆も順風漫歩とどちらでもいいみたい。(同じ意味)

●●消費税の軽減税率は飲食料品をお店で買っておうちで食べると8%になるわけだがこの飲食料品はあくまでも人間の用に供されるもの…つまり人間以外は適用されないのである。従って私が富士スーパーでマグロの刺身を買ってレジでレシートをもらった時にそれを見た私は「あ~っこれ違ってますよ~ このマグロはね織登くんが全て食べるので消費税は10%なのですよ。訂正してくださいよ…」とデメリットも顧みずある種サイコ的に言ってみたらどうなるのだろう。飛行機の機内の中でマスクをしない輩であればできるかも。後ろにはどんどんと並ぶ人が増えてくる…どういう対応になるのだろう~

●午前中、駅まで買い物に行った。途中「ブラボー!」って叫ぶ、おとっつあんがいたらどういうリアクションしよう…などと考えていたらいませんでした。ブラボー

●●●先日、夜寝る前の ルーティン でネットを見ていたら清張の「わるいやつら」の朗読が出てきて昔読んだが久しぶりだからちょっと聞いて寝ようか…などと聞き入っていたらなんとやめられなくなり2時間以上も聞いてしまった。アホである。清張はほとんど読んだことがあるがこの小説はとても面白い構成になっている。主人公の医師が殺人に絡んで死亡診断書を書くというタブーを犯す衝撃的な物語ですよとハードカバーの帯とかでうたっていたがそこではなくまず主人公がわるいやつでその周りにいる女4人男1人+骨董屋がもっとわるいやつらで犯罪の全てを主人公のせいにしてしまう。最後は司法の若い裁判官に自分はやっていないことを述べる(本当にやっていない)のだが「あなたは最低の人だ…」などと罵られ府中刑務所(多分)から網走刑務所に移送される。移送される際に自分の変わり果てた病院を見て点と点が繋がり大きな点となるのである。すべてがわかったのである。最後のページで全てを把握するのである。(シックスセンスみたいに)一通り読んでまた2回目を読むと、周りのわるいやつらは起承転結のどこから悪いことをたくらみそして実行するのかを味わいながら読むのも一興である。物語自体は主人公の戸谷の主観から成り立っているので客観的視点における物語がありそこから戸谷の主観を切り取った小説と考えると…例えばここから寺島トヨが風邪薬に毒薬を入れ、ここから弁護士の下見沢が槇村隆子と結託したのか…思えば下見沢が一番わるいやつかも、などと客観的視点における物語を読まないとわからないがあくまでも推測の範囲で楽しむことができる。本当はどうなんだろう、全体像の物語を読んでみたい!清張の頭の中にしかないのだろうか。デッサンみたいなのは残ってないのか。… 長い小説なので朗読を聞くとなると早く読むというわけには行かないので今日もウォーキングマシンをやりながらipadで聴いている。ラストを聞くまではもう逃れられない。今後は朗読は聞かないことにする~!(終わり方が…たすくこま風)

↓油絵なんですと↓↓↓ !  カンバスは相当大きいと思うのだが。